Nameless: sandro5's blog

徒然なるままに日暮らし、というわけでもない。

不自然な自然

知覚するこの世界が作りものだという、私自身という創造者による。

ガザ地区イスラエル軍が侵攻したといっても、ウクライナ親ロ派による地対空ミサイルでマレーシア航空機が撃墜されたと言っても、僕自身はニュースでしか知らない。直接見たわけではない。実際に見に行けば、そういう事物も作られるのだろうが、今この時点では創造するのにもさほど大きなエネルギーはいらない。ただニュース映像と音声を創り出せば事足りる。

朝、妻が僕を送り出してのち、僕の視界、知覚可能な範囲から外れた途端、妻も我が家も波動に変わる。物質ではなくなる。夜、帰宅するとその瞬間に創造物は再構成され、一貫性を持って、僕の眼前に現れる。妻も我が家も。まるで僕がいなかった時にも物事は普通に動いて、流れているかのように見せて。

文字に起こすとなおのこと奇妙な話だ。とても人に言えたものではない、こんな考え方は。とはいえどう思われるかを気にしている人々も僕自身の創造物に過ぎないわけだが。創造物に過ぎないと言ってもそれは僕の一面である。すぎない、というものではない、彼らは僕自身でもある。大切な損じに変わりはない。ただ、僕が知覚できないものは瞬時に波動に変わるというだけの話。
たまに一貫性が破綻することがある。子供時代に多かった。近所の友人から借りた本(怪奇オール百科)をたしかに返した。なのにその後またうちで見つけた。その本を二度、返した。初めて買ってもらったコミック本(人造人間キャシャーン)が2冊出てきた。
それに、そういえば確かに不自然だよなという事実、月の自転速度と公転速度が同じ。月が地球のサイズに比して大き過ぎる。地球から見る月の位置が絶妙であることから日食の時、それぞれのサイズがジャストフィットすること。
不自然な事象の中に作為的なもの、何者かの意図を感じる。つまりこの世界は自然にできた、偶然の所産ではなく、何らかの知性による介入を経て形作られているということ、この気づき。
こんなことを改めて考えるようになったのは、これらの本を読んだからである。

意識への回帰
夢見の技法
隠れていた宇宙
ザ・マネーゲームから脱出する法
ビジネスゲームから自由になる法
投影された宇宙